きのさんのブログ

書きたいことを書きたいだけ

『IQ水準が比較的高い知的障害者』って言葉を知った本。

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世の中のこと全てが歪んで見えている可能性がある

 ホールケーキを3等分にすることはできる。

5つのリンゴを3人で分けることもできる。

たくさんの星を5つずつ丸で囲むこともできる。

100-7もできる。

93-8もできる。

 

しかし、『知的に問題ない』と『問題ない』は違う。

 

わたしには人生のレールが見えたことがない。

レールの上を走るだけの人生は嫌だとよく聞くが、わたしにはレールが見えていないのだから外れようがない。足下も見えない暗闇の中、一瞬光る明かりを頼りにとにかくそちらへ向かって前進する。すると壁だったり崖だったりに突き当たる。そこで初めて考える。なぜこんなことになってしまったのか、と。

 

非行少年に共通する特徴5点セット+1

  • 認知機能の弱さ……見たり聞いたり想像する力が弱い
  • 感情統制の弱さ……感情をコントロールするのが苦手。すぐにキレる
  • 融通の利かなさ……何でも思いつきでやってしまう。予想外のことに弱い
  • 不適切な自己評価……自分の問題点が分からない。自信があり過ぎる。なさ過ぎる
  • 対人スキルの乏しさ……人とのコミュニケーションが苦手

それから『身体的不器用さ』力加減ができないとか、身体の使い方が不器用という意味だ。(P.47-48)

 

心当たりがあり過ぎた。わたしは真面目すぎるくらい真面目な学生だったので非行経験はないが、自分の人生に対して非行的な態度で臨んでいたのだ。 与えられた餌に飛びつくとそれからどうなるのかを自分のこととして考えられなくなる。やりたくなったらやらずにはおれず、後先のことは考えず全力でやってしまう。知識や能力がなくてもなんとかなってしまう器用貧乏なので、とにかくできてしまう。なのに裏付ける能力はないので常に自信がない。人が嫌い。

 

そうか、わたしは非行少女だったのか。

 複雑な図形を書き写すことができるのに、賢くはなかったのだ。

 

非行的な態度のせいで惨めな今の自分があるし、非行的な態度のおかげで今の思い切った性格を手に入れたわけだけど。こうなりたい自分が具体的になかった中学生のわたしに読ませてあげたかったな。

 

それから、ADHDとかASDって言葉が巷に出回り初めて久しいけれど、人様に迷惑をかけることがどれだけつらいことか理解しているひとっていうのもあんまりいない気がする。いいよいいよ大丈夫だよ、がどれだけ彼らを追い詰めているのか。

 

第6章で『褒める教育だけでは問題は解決しない』ってことが語られるのだが、張り子の牛の人形みたいに首を縦に振り続けた。

“褒める”、“話を聞いてあげる”は、なんの解決にもならない。
例えば、勉強ができなくてイライラしている子供に対して「走るのは速いよ」と褒めたり、「勉強ができなくてイライラしていたんだね」と話を聞いてあげても勉強ができない事実は変わらない。(P.123-124)

 

ではどうするのか。

 

具体的な解決策がもちろん提示されているのでぜひ読んでいただきたい。

 

今のわたしを「でも生きてるじゃない」と褒めたり、「つらかったんだね」と声をかけてもなんの解決にもならないってことだ。納得すぎる。

 

納得すぎるけど、認知は解決への第一歩だとも、思う。

 

最後に書き初めして部屋に張っておきたいくらいの名言を引用する。

 

◆自尊心を高めるとは、どういうことなのか。

 

①自己への気づきがあること

 

そして様々な体験や教育を受ける中で、

 

②自己評価が向上すること    (P.152)

 

 

頭が良さそうに見えて実は複雑な図形を書き写すことができない人、というのもいそうな気がする。

 

 

『子どもの心に扉があるとすれば、その取手は内側にしかついていない』

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じぶんの首にコードを巻き付けた日

その日の記憶はあんまりないのが正直なところだ。

ただ、早朝のうすぼんやりとした明かりの差し込む窓際で、わたしは電気あんかのピンク色のコードを首に巻き付けて、カーテンタッセルを止める金具に全体重を預けていた。頭のなかがとてもうるさくて、世界はとても静かだった。ああ、気持ちいいなと思った。それからうまくしねないな、とも。そうやって何度か試してから、うまくしねないことを報告しに隣の部屋へ行った。そのノックの音を聞きつけて、わたしを腫れ物のように扱っていた母親がやってきた。うまくしねない。しぬこともできなくてごめんなさい。そんなようなことを言ったと思う。そうしたら母親が生まれてはじめて抱きしめてくれた。うん、わかった。そんなようなことを言ったと思う。みるみる涙があふれてきて、しにたい、しにたいと繰り返した。わたしはたくさんの睡眠導入剤のような精神安定剤を大量の原液の梅酒で飲んでいて意識も足下もおぼつかなかったので、次に記憶が戻ってきたときには知らない白い天井だった。特に処置できないって。精神病院に行こう。そこで、半年前の夏から通っていた病院を口にすると、そんな前から通っていたのか、と言われた。

 

半年前の夏から通っていた病院には着替えもせず、ボロボロの寝間着のまま参上した。先生はわたしの姿を見るなり、もう会社に行ってはいけない。診断書を書く。すぐに辞めなさい。と言った。入院してもらうと安心なんだけど、とも言われたので、夜の病院は怖い、もうしんだりしない、決められた薬を決められたとおりに飲みます、だからおうちに帰りたいと泣きながら伝えた。ボロボロの寝間着のまま、【適応障害】と書かれた診断書の入った真っ白な封筒をもって会社へ行った。もう、無理です。そう泣きながら伝えた。突然のことで申し訳ありません。みなさんにご迷惑をおかけして本当に申し訳ありません。頑張れなくて本当に申し訳ありません。もう、きのさんが限界なのは分かってましたよ。と同僚に言われた。全然うまくやれてなかったことが分かって心の底から恥ずかしく、とにかく申し訳なかった。

 

それから、ハローワークに謝りに行った。会社を変わればまた頑張れると思って転職活動をしていたからだ。首にコードを巻いた日には次の会社への就職が内定していた。とても良くしていただいたハローワークの女性職員さんに泣きながら謝った。女性職員さんは、わたしはあなたをいつでも自信を持って会社様へ紹介できる。だから今は病気を治すことを考えてください。あなたはまだ若い。あなたはいつでもやり直せる。と親身に声をかけてくださった。もう無理なんです、とは言えなかった。もう、立ち上がることができないんです、もうやり直したくないんです、なんてとても言えなかった。次の会社様へは母親に連絡してもらった。わたしがもうしゃべることができなかったからだ。良い方だったので残念です、とのお言葉をいただいた。後日、早朝までかかって4回書き直した渾身の履歴書が送り返されて、終わった、と思った。

 

適応障害】、わたしは何に適応していないのか。

会社か、家族か、友達か。

わたしはその時、人間社会に適応していないと思った。

 

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【放課後のサロメ】を読んで自己満足のブログを始めた話

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「上手いとか綺麗とかそれだけじゃなくて」「自分がこれがいいと思える絵が描きたい」

美術高校に通う秀才・レンジは常に誰かに評価される絵を描き続けていた。ある日、放課後の美術倉庫室で異形の才能を持つナオミとレンジは出会ってしまう。「おまえは誰かに褒められるための絵しか描かない」と同級生から指摘され、言い返すことができなかったレンジは、誰に見せるでもない奇想天外で自由奔放な創作を繰り広げるナオミに問いかける。

 

「林原さんは、なんで絵を描くん?」

 

 鬼才・林原ナオミは即答する。

 

「好きやから」

 

「創作の為ならなにを捧げたって怖くない」

 

「命同等の価値が私にはある」

 

「それだけ分かってれば、あとはなんも要らん」

 

 あとはひたすら 描くだけ

 

そのわずか12ページ後、自分が描いたものはなんでもSNSにアップして、いいねをもらうことが創作の理由だと語る人物が現れる。

 

「画家は画商の評価がないと画廊で作家デビューできない」

(中略)

「芸術高校の入試だって実技をもって成績順で合否が決まる」

 

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「芸術は評論と切り離せないのに?」

「絵を描くってことは」

 

「常に評論ありきでしょ」

 

この表情を見てブログをやろうと思いました。

誰にも見せない創作ってのもあると思います。

けど、見せるための創作もあると思ったので。

 

自分にない才能と熱量を持つすべての天才たちに嫉妬している世界中の創作人に読んでいただきたい。そして、なぜ人は創作をするのか。なぜ自分は創作をするのか。なにをもって才能と呼ぶのかについて思いを巡らせてみていただきたい。持たざるものは持つものを羨み、持つものは持たざるものを羨む。本気モードになるレンジがかっこ良すぎる。『放課後のサロメ』は月刊アクション不定期連載中みたいです。

 

Amazon:放課後のサロメ

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『この出来事は、ふたりだけの秘密』

 

 

【ツレがうつになりまして。】はうつのひとにこそ見て欲しい映画だ。

お題「#買って良かった2020

 

わたしはちょうど一年前の冬に脳みそがクラッシュしてしまった。

脳みそがクラッシュしてしまうとどうなるかというと文字が読めなくなるのだ。

文字が読めなくなるということは本が読めなくなるということで、

活字を読んで情報を得て生き延びてきたわたしにとって完全に死活問題だった。

 

そこで役に立ったのがYouTubeとアマプラだった。

※アマプラ=言わずと知れたAmazon Prime Videoのこと

 

うつ状態とはいえ、意識はある。

頭が枕から離れないのでスマホを布団のなかに持ち込み、

ひたすら映画やらアニメやら動画やらを眺めた。

 

初めてのうつ。

先の見えない恐怖からわずかでも解き放ってくれた映画がこちら

宮崎あおいさんが“売れない漫画家”の奥様:ハルさんで、

堺雅人さんが“生真面目なサラリーマン”の旦那様:ツレなのだが、

このツレがうつになってしまうところから物語が始まる。

 

生真面目なひとがなりやすいと言われるうつ。

堺雅人さん演じるツレがみるみるうつになっていく様子はあまりにリアルで、

己の実体験との合致っぷりに布団のなかでボロボロ泣いた。

なによりいちばん泣けたのは、ツレがハルさんに怒られて、

冷たいシャワーを浴びながら首を吊ろうとしたところだ。

 

自分自身がつらいのに、それを誰かのせいにできないツレ。

自分のせいで誰かをつらくしてしまっていることが悲しいツレ。

それを理解しているのに理解してもらえないツレの圧倒的孤独。

 

まさに今、自分が体験している感情のすべてをツレが表現してくれている。

それは救いにも似たカタルシスで、ひとりぼっちの布団の中でひたすら泣いた。

 

うつは孤独な病気だ。

理解者がいてもいなくても、今、自分が戦っているうつのつらさは自分にしか分からない。

うつを経験したわたしのつらさと、ここにたどり着いてくれたあなたのつらさはきっと違う。

理解はできない。

けれど、歩み寄ることはできる。

 

つらいよね。

 

映画見よ。映画見て、アニメ見て、YouTube見よ。

あとはおくすりのんで、たくさん寝てください。

明日、起きたら朝日を見てください。

 

少しでも朝日がきれいだったら、またいちにち生きてください。 

しにたくなったら、またこの映画を見てください。

そういう人生があっても、わたしはいいと思う。

 

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(C)2011「ツレがうつになりまして。」製作委員会 

 

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こじらせ独身女が「大人になったなと感じるとき」

今週のお題「大人になったなと感じるとき」

 

わたしは結婚していない。

結婚していないどころか恋人もできたことがない。

一番の理由はわたしが男性嫌いの女性苦手だから。

そんな調子で年齢ばかり重ねてしまったものだから、

いろいろな価値観をとんでもなくこじらせてしまった。

 

とあるアンケートに答えた。

「あなたが恋愛したいと思う季節はいつですか?」

以下、わたしの回答

 

春は出会いの季節だというけれど、桜はひとりで眺めるのが好きだ。
隣に誰かいるとその人が桜にどれくらい興味があって、
今、この瞬間をどのくらい味わっているのか気になってしまうから。

夏の花火大会はひとりで遠くから眺めるのが好きだ。
混雑で迷子にならないように手を繋ぐなんて、あそこはそんなロマンチックな場所ではない。

戦場だ。戦場に足手まといと行くなんて狂気の沙汰だ。
秋はメランコリックな季節だというけれど、銀杏並木はひとりで歩くのが好きだ。
適当に立ち止まって排水溝の周りに溜まった落ち葉を見つめる。
その行動に意味はないし、きっかけも発展性のある会話もついてこない。

冬は人肌恋しい季節らしいが、人肌くらいで暖かくなれるなら冷え性なんてこの世には存在しない。
あれはそんな生ぬるいものではない。生殺与奪を賭けた真剣勝負だ。

イルミネーションを凍えながら眺めているやつらの腰やら腹やらにはホッカイロがあるのかないのか、
このあとの予定を邪推しながらそればかりが気になる。

 

こんな調子であと少し。

最終的な結論はこうだ。

 

では、いつわたしは恋をしたくなるのかというと、そんな戦いに疲れたときだ。
安心する部屋にひとりぼっちであることに気がついてしまった時だ。

気がつかないようにきれいな季節を見つめているようにしているが、
現実は容赦なくひとりであることを思い知らせてくる。

今日、桜がきれいだったよ。
今日、花火がきれいだったよ。
今日、銀杏並木がきれいだったよ。
今日、イルミネーションがきれいだったよ。


「そうだったんだ」

この相づちが恋しくなるとき、わたしは恋愛をしたくなる。

 

三十路、つらすぎ。

 

大人になるってことは結婚して子供を産んで生活を営むことだけではない。

だけではないが、そうではない人生を選んだときに、こうなる。

大人になりたい諸君。

今、隣にいる他人と一生を共にできるかを常に考えること。

家族でも友人でも親友でも伴侶でも、今、隣にいる他人との人生を考えること。

自分の人生について真剣に考えているときだけ、人は大人になれる。

 

と、成人式に晴れ着も着なかった大人もどきは、思う。

 

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うつのひとは“沼”という食べ物を喰え。

お題「簡単レシピ」

あなたは“沼”を知っているだろうか。

 

これでもないし、

 

これでもない。

 

これである。

 

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わたしはうつになってしまってから、何を食べればいいのか判断できなくなった。そもそも買い物ができないのである。たくさんの食べ物から選べないのだ。 食べたいものなんかもちろん浮かばない。どうにかこうにか起き上がり、ようやく着替えて、やっとのことで向かったスーパーで、膨大な量の食料品を前に呆然と立ちすくんでしまったことが何度もある。ネットを検索すると『うつに利く食材』がわんさか出てくるが、調理するのが面倒なものばかりだった。

そんな中で出会ったのが“沼”だ。“沼”は完全栄養ダイエット食として、病院での調理師経験のあるフィジーカーのシャイニー薊さんが考案した食べ物だ。PFCバランスが完璧。なにより作り方が最高に簡単で、安い。
※PFC:タンパク質(Protein)・脂質(Fat)・炭水化物(Carbohydrate)のこと

 

で、こちらがわたしが参考にした“沼”の発展形、“セメント”である。

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3合炊きしか持っていない三十路の女であるわたしのレシピをおいておきます。

オリジナルはあくまで上記動画です。男性には1.5食分くらいになるのかも。

 

◆わたしの3合炊き“セメント”◆

 ①水でゆすいだ米(約0.8合)

 ②適当に切った鶏の胸肉(約150~200g)

 ③たまねぎ半分(デカ目に切って平気)

 ④しめじとかえのきとか(適当)

 ⑤レタスとかキャベツとか(蓋が閉まるのかってくらいぎゅうぎゅうに入れて大丈夫)

 ⑥めんつゆ(2倍濃縮を2周)

 ⑦水を3合炊きの線まで入れる

 

◆作り方◆

 1.①から⑦を順番に炊飯器にぶっこむ

 2.炊飯ボタンを押す

 3.炊けたらおもっきりかき混ぜる

 以上ッ!!

 

買い物に行ったら

 ・鶏の胸肉

 ・たまねぎ

 ・しめじとかえのき

 ・レタスとかキャベツとか

他に食べたいものが浮かばない時はこれだけをひたすら買い続けた。

めんつゆの代わりに水を増やして、コンソメとトマトケチャップをぶっこんだり、カレーの素を2片入れたり、だしの素と味噌を入れたり、鍋キューブをふたつ入れたりもした。で、これを日中に食べられるだけ食べる。活動できる夜に作って次の日の朝から食べて大体1日でなくなった。

 

静かな部屋のなかで炊飯器がシュンシュンと白い湯気を立てながらごはんを作っているのが幸せで、できあがりのアラーム音で心がときめきます。

 

この作業すら無理な方にはおかゆがおすすめ。

米を炊飯器にぶちこんで水を入れておかゆモードで炊く。

そいつをお惣菜と食べるだけ。簡単だけど罪の意識がなくなります。

 

無理なものは無理よね、うつがひどい時は。

大波が去ったら温かいものを食べてみてください。

季節を問わず、食事を作る湯気というのが最高に癒やされるので、ぜひ。

 

Amazon.co.jp: 炊飯器

 

Amazon.co.jp:鍋キューブ

キムチが鉄板。じゃがいもとキャベツを鶏だし旨塩で煮るとシチューになる。おすすめ。 

 

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すさまじい影響力だな……

 

 

わたしのこと

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わたしは人間が嫌いだ。

人間が嫌いだから自分も嫌いだ。

けれど生まれてしまったので仕方なく寿命を使い切ることにした。

 

寿命を使い切ることに決めたのはちょうど一年前の冬だ。

ちょうど一年前の冬、わたしは自分で自分の首にコードを巻き付けて死のうとした。

死のうとしたけど死ねなかった。そうして生まれた死に損ないがわたしである。

 

わたしは物心ついた時から死にたくて、暇さえあれば自分の葬式の妄想をしていた。

実際死ぬことがなかったのは、妄想をしているうちに誰かに話しかけられて、

誰かに話しかけられているうちに食事になって、

食事を終えたら眠らなければならなくなって、

寝てしまうとやがて起きてしまうことになるからだった。

起きてしまうと幼稚園やら小学校やら中学校やら高校やらに行かねばならない。

たくさんの“ねばならない”を繰り返していたらこんな歳になっていた。

 

こんな歳とは38歳である。

数字で書くとまだまだ若い。

でも実感としては全くもって中二病のおばさんだ。

中二病のおばさんはずっとやりたいことがあった。

それは 自分のパソコンでブログを書くこと だった。

38年もかかってようやく夢が叶ったわけだ。

なぜそんなにかかったのかをこれから書く。

それからなぜ生きていられるのかも書く。

あとは書きたいことを書きたいだけ書く。

 

存分に。