きのさんのブログ

書きたいことを書きたいだけ

じぶんの首にコードを巻き付けた日

その日の記憶はあんまりないのが正直なところだ。

ただ、早朝のうすぼんやりとした明かりの差し込む窓際で、わたしは電気あんかのピンク色のコードを首に巻き付けて、カーテンタッセルを止める金具に全体重を預けていた。頭のなかがとてもうるさくて、世界はとても静かだった。ああ、気持ちいいなと思った。それからうまくしねないな、とも。そうやって何度か試してから、うまくしねないことを報告しに隣の部屋へ行った。そのノックの音を聞きつけて、わたしを腫れ物のように扱っていた母親がやってきた。うまくしねない。しぬこともできなくてごめんなさい。そんなようなことを言ったと思う。そうしたら母親が生まれてはじめて抱きしめてくれた。うん、わかった。そんなようなことを言ったと思う。みるみる涙があふれてきて、しにたい、しにたいと繰り返した。わたしはたくさんの睡眠導入剤のような精神安定剤を大量の原液の梅酒で飲んでいて意識も足下もおぼつかなかったので、次に記憶が戻ってきたときには知らない白い天井だった。特に処置できないって。精神病院に行こう。そこで、半年前の夏から通っていた病院を口にすると、そんな前から通っていたのか、と言われた。

 

半年前の夏から通っていた病院には着替えもせず、ボロボロの寝間着のまま参上した。先生はわたしの姿を見るなり、もう会社に行ってはいけない。診断書を書く。すぐに辞めなさい。と言った。入院してもらうと安心なんだけど、とも言われたので、夜の病院は怖い、もうしんだりしない、決められた薬を決められたとおりに飲みます、だからおうちに帰りたいと泣きながら伝えた。ボロボロの寝間着のまま、【適応障害】と書かれた診断書の入った真っ白な封筒をもって会社へ行った。もう、無理です。そう泣きながら伝えた。突然のことで申し訳ありません。みなさんにご迷惑をおかけして本当に申し訳ありません。頑張れなくて本当に申し訳ありません。もう、きのさんが限界なのは分かってましたよ。と同僚に言われた。全然うまくやれてなかったことが分かって心の底から恥ずかしく、とにかく申し訳なかった。

 

それから、ハローワークに謝りに行った。会社を変わればまた頑張れると思って転職活動をしていたからだ。首にコードを巻いた日には次の会社への就職が内定していた。とても良くしていただいたハローワークの女性職員さんに泣きながら謝った。女性職員さんは、わたしはあなたをいつでも自信を持って会社様へ紹介できる。だから今は病気を治すことを考えてください。あなたはまだ若い。あなたはいつでもやり直せる。と親身に声をかけてくださった。もう無理なんです、とは言えなかった。もう、立ち上がることができないんです、もうやり直したくないんです、なんてとても言えなかった。次の会社様へは母親に連絡してもらった。わたしがもうしゃべることができなかったからだ。良い方だったので残念です、とのお言葉をいただいた。後日、早朝までかかって4回書き直した渾身の履歴書が送り返されて、終わった、と思った。

 

適応障害】、わたしは何に適応していないのか。

会社か、家族か、友達か。

わたしはその時、人間社会に適応していないと思った。

 

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