きのさんのブログ

書きたいことを書きたいだけ

「あなたはうまれたときからうつですよ」と言われた話

こういう日記を書いた。

 

 

ここまでやらかしたのは人生最大だったが、それまでも予兆はたくさんあった。

 

わたしは幼いときの記憶がほとんどない。父親の原因不明の不機嫌スイッチを押してわめき散らされながら裸足で外に蹴り出された記憶や、執拗に箸の持ち方を指摘されてぶち切れた記憶や、眠るわたしに無理矢理添い寝して、子守歌を歌いながら身体を触る父親を拒否できない記憶など、とにかくわたしが嫌がることを徹底的に行ってくる父親とそれを止めさせない母親の記憶しかない。片付けられない両親により、本物の泥棒が入った時に警察の方に勘違いされたくらい部屋の中は荒れていて、父方の祖父は決定権を持たないわたしに口うるさく片付けを強要した。祖母も味方ではなく、二度と子育てはしたくないと面と向かって言われた。学校ではよい子を演じていたし、家庭でもよい子を演じていた。本当のわたしは四面楚歌だった。

 

毎日が鬱々としていたことは覚えている。幼稚園では誰とも口をきかず、ずっとひとりで読める文字を増やしていった。小学校ではうわべだけの友達が大半をしめ、中学校ではその感覚がエスカレートした。高校になると男性嫌いが顕著になり、かといって女性の友人を作る努力もせず、誰にでもいい顔をして、心の中では勝手に孤独になっていった。その頃には学校嫌いも併発していたと思う。しかし、誰にも相談できなかった。学校へ行くとなると遅刻し、ひどいときには朝起きたのに廊下で眠ってしまう。登校拒否は明らかだった。面倒だと思われて母親に捨てられたらしぬしかない。だから心配をかけないようにせねば。その一念がわたしを必死に動かしていた。

 

毎日しにたかった。

もう全部終わりにしたかった。

 

そうこうするうちに人生に対して努力をすることを止めてしまっていたわたしは何も考えずに都会の専門学校へ進む。両親は無言でお金をくれた。ようやく実家から出られた一人暮らしは最悪だった。大した信念も持たずに進学したため、なんのためにここにいるのかあっという間に分からなくなった。するとなんのために生きているのか分からなくなった。とりあえずお金が欲しくてバイトを始めた。バイトをするとお金がもらえる。お金があればやりたいことができる。やりたいことをするために人生がある。ならば、お金を稼がなければ。中身のない生活を続けていくうちに学校は中退した。学校を中退する頃には完全にうつだった。昼でも薄暗い部屋の中で枕の中身をぶちぶちとひっぱり出しながら病院へ行こうと思った。当時はひとりで精神科へ行くのが怖すぎたので適当な内科へ向かった。

 

「夏になれば治りますよ」

 

薬は出なかった。へぇ、そういうもんかと思った。だが、当たり前なのだが夏になっても治らない。治らないが人生は急進する。地元でお世話になった方から就職のお誘いがあったのだ。就職すればもっとお金が稼げる。わたしはふたつ返事で地獄の実家に舞い戻る。都会での一人暮らしという貴重な機会をすべてを捨てて就職した地元の会社はパワハラの強要がひどくて一週間で辞めた。それからすぐに販売業に転職して、10年は平穏に過ごした。家に帰ると全身がだるく、食事もとらずに寝てしまうような正確には全く平穏ではない生活だったが、少なくとも一人暮らしのあの暗い部屋にいるよりは明るく過ごした。家族はわたしがどんなに塞ぎ込んでいても意に介すことはなかった。そうして5年前にさらなる安定を求めて事務仕事へ転職する。しかし、転職先で再びパワハラに遭い、ある日出勤中の車の中で涙が止まらなくなった。しにたい。しぬのも面倒くさい。もう、消えてしまいたい。消えてしまう前に幼い頃からずっとつきまとうこのどす黒く粘度を持った感情がうつというものなのかを確認するために、今度こそきちんとした精神科に行くことにした。

 

そうして向かった精神科で、診察開始直後に言われたのだ。

 

「あなたはうまれたときからうつですよ」

 

透明な涙が止まらなくなってしまった。この時に流した涙を涙と呼ぶのなら、今まで流してきた涙はドロドロで半分血液だったと思う。みんな本当は死にたいのに歯を食いしばり、必死で生きる理由を探して生きているのだと思っていました。そう泣きながら伝えた。おじいちゃん先生はやわらかい無表情で、そんな真剣に生きてる人はそんなにいないよ。あなたは頑張りすぎ。脳みその構造がそうなってるんだと思うよ。お薬を出すね。精神安定剤と幸せを感じる物質の再吸収を抑えるお薬です。と簡潔に説明した。この先生と出会えたから今もわたしは生きているのだと確信している。誘惑に負けて薬を一気に取り過ぎてしまったことがあった。いつもはやさしい先生が初めて怒気を込め、「治す気がないならもう薬は出さない」と真剣に叱ってくれた。真剣に叱ってくれた大人は38年間の人生の中ではひとりだけだ。先生のおかげで生まれて初めて身体が軽くなり、世界が透明に見えた。わたしはおろかにも完治したと思った。そして、通院を勝手に辞めてしまう。

 

本当の地獄はここからだった。

 

 

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