きのさんのブログ

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【うつ病】ウツは障害であると認めた日

いろいろあって、障害者手帳を申請することになった。

手帳はもっと程度の高い人のものだと思っていたし、病院から勧められることもなかったのでずっと思考の外側にあった。しかし、1月の末、わたしは再びクラッシュしてしまった。再び、と書いたが、実際には再びどころか三度、四度目のクラッシュだった。

 

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なんのための一年間だったのかと悲観するあまり、1年ぶりの鉛の頭を経験した。どろどろになったコールタールのような脳みそが硬い頭蓋骨のなかをゆるゆると動き回る。考えがまとまらない。頭蓋骨の内側にこびりつく。こびりついてせき止める。枕から頭が離れない。かろうじて最後の正気が朝日を部屋へ招き入れる。キラキラした朝日をしばし見つめ、そのまま枕に頭を戻す。どうにか朝の薬を飲む。気がつくと昼になっていて、次の瞬間には昼を大幅に過ぎている。それでもどうにか昼の薬を飲む。それから夜が来て、やっと夜の薬を飲んで眠ることができる。眠っても夢の世界も決して幸せなものではなく、追いかけられて追いかけて殺されて殺して大変な夢から覚めるとまた現実の朝日が暴力的なまでの陽光を部屋へ投げ込んでくる。そんな日々を繰り返した。寛解からはほど遠い状態に、わたしは覚悟を決めた。

 

わたしはおかしい。

障害者であると認めるしかない。

 

嬉々として自分を障害者であると認めるひとはいないと思う。障害者である自分を肯定的に認めることと、自分が障害者であることをうれしく思う気持ちは違うとも思う。障害があるから今の自分がある、とは思えても、障害がない人生を歩みたかったと思うのは自然なことだと思う。やったーわたし障害者だからよろしくね、なんて心の底から思ってるひとはいないと思う。が、そう思わないと生きていけない人がいる。今のわたしだ。

 

そんなわけでウン十年をかけてわたしは自他共に認める障害者になった。今回のクラッシュで高校生の時にもそんなことがあったことを思い出した。そのときは真夏で、暑いのに身体が動かず、クーラーも扇風機もつけることができず、ベッドの上で脱水症状になった。脱水症状であることは母にお願いして連れて行ってもらった病院で診断された。病院へ行きたいと伝えたとき、母は『また大げさな』とあきれていたが、医師に即入院と告げられて真顔で荷物をまとめてくれたのを覚えている。小学生の頃は夏休みに何日も食事を摂らないこともあった。両親も祖父母もわたしの食事に気をつけてくれるひとはいなかったから空腹の限界に挑み、空腹はやがて消えてなくなり、ひとは一週間くらい食べなくても死なないことを学んだ。

 

ひとは簡単には死なない。

故に、戦わなければならない。

戦い続けるのには力が必要で、

力のない人間は、戦う方法を編み出さなければならない。

 

戦いは続く。死ぬまで続く。

 

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わたしがしんでも朝日は昇るんだよな。朝日は、好きだな。