「自分って、何?」【散歩する侵略者】
「自分って、何?」
「言葉じゃなくて、ちゃんとイメージして」
「そうそう、もっと鮮明に」
「それをもらうよ」
とん、と人差し指で額を突かれる。
がくんと力が抜け、崩れ落ちる。
ぽろ、と涙が一粒。
あれ、おかしいな、
【自分】って、なんだ?
【散歩する侵略者】で描かれる宇宙人は非常に無邪気だ。概念を奪え、といわれて地球に来たので忠実に任務をこなす。人間にとりついた空っぽの宇宙人は人間から概念を奪うことによって“成長”していく。人間は概念に縛られている。概念を奪われると人間は自由になる。とても凶悪で、とても静かな侵略。
ひきこもりの男性は散歩中の宇宙人に“所有の【の】”を奪われる。【の】を奪われた男性は【わたしの家】という概念を失い、外の世界へ飛び出す。【の】を奪った宇宙人は帰る場所を理解する。これは家である。しかし、わたし【の】、家ではない。
息子の身体を宇宙人に奪われた主婦は【自由】を奪われる。主婦は【自由】が分からなくなり、自分の家のなかをうろうろするようになる。自分の家から出るという考えが浮かばなくなったのだ。身体を奪った宇宙人は晴れやかな顔で旅に出る。これが、【自由】。
二言目には仕事仕事の仕事人間から【仕事】を奪う。【仕事】から解き放たれた男は職場で自由に振る舞う。仕事道具を蹴散らし、周囲の制止を振り切ってはしゃぐ。【仕事】の概念を得た宇宙人はなにも変わらない。「仕事って大事なもの?」
宇宙人は金魚に入る。金魚は水から出ると死んでしまう。このままでは死んでしまうと思った宇宙人はたまたま近くにいた人間の身体に入る。人間の身体に入った宇宙人はたまたま近くにいた人間の家族の身体を分解して、人間の中身について知る。人間はこうすると死んでしまうのか。宇宙人は任務の邪魔をする人間に容赦なく物理攻撃を加える。ためらいなく人を殺す。なのに宇宙人はなんの変哲もないクルマにひかれてあっさり死ぬ。クルマにひかれたら人は死ぬ。当然の事実。なぜそんなことになってしまうのか。
それは、愛がないからだ。
【自分】は分かる。しかし、自分を大事にしなければならないという概念がない。自分を大事にするという概念の根底には自分への愛がある。愛があるからひとは自分を思いやる。死なないようにする。同じように他人へも愛情を注ぐ。自分と同じくらい大事にしようとする。だから人を殺してはいけない。宇宙人は教会に行く。神様の愛についての講義を受ける。しかし愛は抽象的で複雑すぎて奪うことができない。
そして、ついに宇宙人はガイドから愛を奪う。ガイドは身体の元の持ち主の奥さん。夫婦の中は冷え切っていたが、概念を得て、宇宙人は“かつてのあの人”になっていた。ガイドから奪わないのが宇宙人のルールなのだが、いよいよ物理的な侵略が始まり、あちこちで炎があがりはじめた時、ガイドは宇宙人に激しく詰め寄る。
「あなたに愛をあげる!たくさんあげる!だから、わたしから奪って!」
宇宙人は愛を知る。念願の愛という概念。愛を知った男は涙を流す。普通は奪われた側が流す喪失の涙。「なんだこれ」は普通、奪われた側の台詞だ。男は「なんだこれ」を繰り返す。愛を奪われた女は無表情になる。かさかさに乾いた瞳。色のない、絶望とも違う真っ暗な瞳。感情のない冷徹な頬、くちびる。
長澤まさみ、恐るべし。