きのさんのブログ

書きたいことを書きたいだけ

【うつ病】ウツは障害であると認めた日

いろいろあって、障害者手帳を申請することになった。

手帳はもっと程度の高い人のものだと思っていたし、病院から勧められることもなかったのでずっと思考の外側にあった。しかし、1月の末、わたしは再びクラッシュしてしまった。再び、と書いたが、実際には再びどころか三度、四度目のクラッシュだった。

 

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なんのための一年間だったのかと悲観するあまり、1年ぶりの鉛の頭を経験した。どろどろになったコールタールのような脳みそが硬い頭蓋骨のなかをゆるゆると動き回る。考えがまとまらない。頭蓋骨の内側にこびりつく。こびりついてせき止める。枕から頭が離れない。かろうじて最後の正気が朝日を部屋へ招き入れる。キラキラした朝日をしばし見つめ、そのまま枕に頭を戻す。どうにか朝の薬を飲む。気がつくと昼になっていて、次の瞬間には昼を大幅に過ぎている。それでもどうにか昼の薬を飲む。それから夜が来て、やっと夜の薬を飲んで眠ることができる。眠っても夢の世界も決して幸せなものではなく、追いかけられて追いかけて殺されて殺して大変な夢から覚めるとまた現実の朝日が暴力的なまでの陽光を部屋へ投げ込んでくる。そんな日々を繰り返した。寛解からはほど遠い状態に、わたしは覚悟を決めた。

 

わたしはおかしい。

障害者であると認めるしかない。

 

嬉々として自分を障害者であると認めるひとはいないと思う。障害者である自分を肯定的に認めることと、自分が障害者であることをうれしく思う気持ちは違うとも思う。障害があるから今の自分がある、とは思えても、障害がない人生を歩みたかったと思うのは自然なことだと思う。やったーわたし障害者だからよろしくね、なんて心の底から思ってるひとはいないと思う。が、そう思わないと生きていけない人がいる。今のわたしだ。

 

そんなわけでウン十年をかけてわたしは自他共に認める障害者になった。今回のクラッシュで高校生の時にもそんなことがあったことを思い出した。そのときは真夏で、暑いのに身体が動かず、クーラーも扇風機もつけることができず、ベッドの上で脱水症状になった。脱水症状であることは母にお願いして連れて行ってもらった病院で診断された。病院へ行きたいと伝えたとき、母は『また大げさな』とあきれていたが、医師に即入院と告げられて真顔で荷物をまとめてくれたのを覚えている。小学生の頃は夏休みに何日も食事を摂らないこともあった。両親も祖父母もわたしの食事に気をつけてくれるひとはいなかったから空腹の限界に挑み、空腹はやがて消えてなくなり、ひとは一週間くらい食べなくても死なないことを学んだ。

 

ひとは簡単には死なない。

故に、戦わなければならない。

戦い続けるのには力が必要で、

力のない人間は、戦う方法を編み出さなければならない。

 

戦いは続く。死ぬまで続く。

 

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わたしがしんでも朝日は昇るんだよな。朝日は、好きだな。



 

【うつ病】療養生活1年にしてやりなおすことになった話

去年の12月に頭がクラッシュしてから1年。

わたしはそろそろ社会生活に戻る必要がある、

 

と、自分に圧力をかけつつあった。

 

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先月、12月の定期診察で先生に『そろそろ就職について考えてみては』と言われた。寛解と呼ばれるうつ病の終わりが近づいている。社会生活に戻るときがきたのだな、と素直に思った。実際にもう頭が重くて枕から離れないということも、鬱々として考えがまとまらないとか何がどうしたいのか分からないということもなくなっていた。ブログも始めて、自分の考えを文章にすることもできるようになっていた。何時間も机に座っていられるくらいには体力も精神力も戻っている。これでは病人とは言えないと思った。

 

そこで就職活動を始めた。田舎暮らしなのでハローワークに頼ることにした。ハローワークは1年ぶりだった。1年前に転職が成功していたのに反故にしてしまったことに関して号泣して謝った場所だ。募集の検索まではできた。それ以上ができなかった。これが自分のことだと思うと心臓がバクバクして涙が出てくる。おかしいな。1年間他人と会話しないとこんなことになるのか。リハビリが必要だと思った。そこで就職支援を利用することにした。人とお話しして、指示を受けて、集中して作業する練習がした。なんだかんだあって手帳が必要だと言われた。

 

手帳。必要なのか、今のわたしに。

 

しかし、手帳を手に入れなければわたしが望む就職支援が受けられない。先生に相談することにした。「支援が必要なんですか?」と先生は嫌そうな顔をする。「この人は一般就職のひとだよ。手帳は面倒くさいからなあ」と言われて涙が止まらなくなった。じゃあどうしろっていうんだ。もっと頑張らなきゃいけなかったのか。手帳はもっと酷いひとじゃないともらえないんだ。ぼたぼた泣きながらこんなことではまともに働くどころか就職活動もできないと泣いた。1年前と同じやないかと冷静な自分が自分に突っ込む。先生はうーんと唸って、「やり直そうか」と言われた。手帳を出します。長い目で治さないと駄目だ。1年やってきたけれど、仕切り直しましょう。もう一度、検査からやり直します。と言われた。漫画みたいにガーンとなった。なんだったんだ、この1年って。

 

その日のうちに、受けたことのない検査を受けた。ADHDについてのテストだった。散々さまざまな媒体で見てきたADHDについての本物のテスト。選択肢はすでに知っている、予習済みのテストだ。自分のさじ加減でそうだ、ともそうではない、とでも結果が出せる。しかし、そんな考えは吹き飛んでしまった。わたしはありのままをマークした。何を問われている問題なのか理解できないものもあってショックだった。

 

今日はここまで。次はもっと長く時間がかかるテストをします。

 

そして、おうちに帰った。12時過ぎ。頭がどーんと重くなった。身体もどーんと重くなった。息もどーんと重くなって、布団の上にどーんと落ちた。

 

 

つらい。

 

ウツ、つらい。

 

 

 

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今、こうしていても身体が重い。なんなんだよ。



 

【うつ病】文字が読めなくなって太陽を見るようになった話

わたしはうつ病だ。

 

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ずっとうつ病だったが、1年前に脳みそがクラッシュして、とうとう仕事を辞めた。しばらくは起き上がるどころか枕に頭が沈み、トイレに行くために全力を尽くすような亡霊みたいな日々を過ごした。昼と夜は区別できる。おなかは空かない。暇だなという感覚はある。文字は読めない。寝てばかりは全く楽な生活ではなかった。常に不安と焦燥感が身体のなかでソワソワと渦巻く。まったくゆったりできない。安心感もない。しかし、何もできない。それを受診したときに伝えた。先生は椅子の背に体重を預けてひとつ、ふたつ、と約束ごとを教えてくれた。

 

①カーテンをレースカーテンにしなさい。遮光カーテン禁止。

これはすでに実行していた。今の病院の前に通っていた精神科で教えてもらっていたからだ。私の部屋には何年も前からレースカーテンしか掛かっていなかった。朝が来ると自然に分かる。すると、次の約束ごとを提示された。

 

②朝が来たらカーテンを開けなさい。雨でも開けなさい。朝日を見なさい。

これはやっていなかった。さっそくやることにした。治療を始めた頃は7時頃に目が覚めていた。季節は冬。日の出には間に合わないが、斜めに差し込んでくる真っ白な朝日を毎日眺めた。しばらくは眺めたあとに再び枕に頭が吸い寄せられていたが、やがて、そのまま行動に移せるようになった。なにより朝日は美しくて、毎日朝が来るのが楽しみになった。

 

③散歩をしなさい。太陽の光を浴びなさい。

これは双極性障害の残り香が若干やらかしていた。1日に3時間以上歩きまくったのだ。気楽な散歩ではなく、強迫観念のなせる行動だった。ひどいときはへとへとになるまで6時間以上歩いた。こんなところまで歩いてきたぞ、と思うと気分が良かったが、やりすぎた。これは徐々に改善され、散歩の意味が理解できるようになった。歩く、ということは下半身を動かす。腕を振ると全身運動になる。有酸素運動なので深い呼吸をする。なんといっても外は気持ちがいい。雨や曇りの日でも室内にいるよりも明るい世界にいられる。ひきこもりにならなくて済んだ。

 

あとはきちんと薬を飲んで、規則正しい生活をし、昼寝はせず、夜によく寝なさい、と言われた。食事内容については深くは追求されなかった。体重は10キロほどは減っていたのだが、幸か不幸かぽっちゃりしていたのでむしろ美容体重になっていたので気にされなかった。

 

たった3つの約束ごとをわたしは律儀に守った。はやく良くなりたかった。文字が読めないということがストレスだったからだ。はやくこの頭の中のモヤモヤをどうにかして、文字が読みたかった。世界中にあふれる情報を収集したかった。誰かの体験談を読んで安心したかった。物語の世界に入り込んで現実逃避したかった。しかし、読めないものは読めない。そこで、SNSをすべて絶った。入り浸っていたツイッターも、何時間でも眺めていたインスタグラムも、用もないのに次々に見ていたネットサーフィンも全くしなくなった。すると、何にも気にならなくなった。今、ここにいるわたしがすべて。文字のかわりに映像を見るようになった。YouTubeには精神病と向き合っているひとたちがたくさんいて、心の支えになった。それからAmazon Prime Videoで映画やアニメを見た。「ツレがうつになりまして」はその頃に出会った映画だ。

 

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徐々に頭を起こして動画を見るようになり、漫画を読むようになり、そうして春になってわたしは文字を取り戻す。一冊の単行本が読めるようになるまでにだいたい3ヶ月くらいはかかった。まずエッセイみたいな短い文章を読んだ。

 

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これは今の自分でも読める本を探して図書館をうろうろしてるときに見つけた【おいしい文藝】というシリーズの中の一冊。“ひんやり”とした“甘味”ばかりが出てくるエッセイ集。ひんやり甘い食感は疲れ切った感覚のなかでもやさしく明確に想像できてとても良かった。他にもパンやコーヒーやフルーツやお寿司なんかもある。普通の生活、普通の食事、そういう普通に戻りたかったわたしに光をくれた一冊だ。

 

そんなわけで今でもお医者さんとの約束を守り続けている。うつ病、と聞くと暗い室内で一日中鬱々としているイメージかもしれないが、本当の患者は光の中で自分の中の闇と戦っているのだ。

 

 

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映画【さんかく窓の外側は夜】は配信まで待った方がいい

TSUTAYAをうろうろしていたら、実写化おすすめ漫画のコーナーにヤマシタトモコさんの漫画が置いてあった。ヤマシタトモコさんの漫画が、しかもリブレ(出版社の名前)の作品が、実写映画化される。嫌な予感がした。とりあえず原作漫画を読むことにした。ヤマシタトモコさんの漫画はしばらく手つかずだった。

 

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面白かった。TSUTAYAで借りて、次の日には既存の9巻まで大人買いした。この作品は肉感的で目で楽しむBLというより関係を楽しむブロマンスなバディものだった。

ブロマンス英語Bromance)とは、2人もしくはそれ以上の人数の男性同士の近しい関係のこと。性的な関わりはないものの、ホモソーシャルな親密さの一種とされる。

冷川理人(ひやかわりひと)は霊を退治することを生業にしている。 警察の未解決事件などにも力を貸す本物の除霊師。その生い立ちが影響してか、人間らしい考え方が少しだけ欠落している。三角康介(みかどこうすけ)は幼い頃から「霊を視る」能力に長けているため、冷川に見いだされ、助手になった。幼い頃から母と2人暮らし。能力は鬱々としているのに本人はいたって快活で、ポジティブで、生気にあふれている。

 

能力を補い合うふたりの性質や生い立ちはどこか重なり合い、決してでこぼこコンビではない。培われていく人間関係は肉欲的な愛情ではなく、親友としての愛情を育てていく。セクシーだなと思うのは、冷川が三角の能力を享有するために三角の身体に触れ、“中に入る”と、三角は射精したくなるくらい気持ちがいいという表現があること。言葉攻めとも受け取れる会話、息づかいが非常にセクシャル。セクシャルだけどいやらしくない。ヤマシタトモコさんの台詞はセンスの塊だ。簡潔な線とパキッとした画面構成と合わせて、おしゃれな漫画なのだ。

 

で、映画版。ちっともおしゃれじゃなかった。ちっともおしゃれじゃなかったし、とにかくつまらない時間がだらだらと流れた。何がいちばんつまらなかったのかというと、三角の性格がうじうじしていて、いかにもホラー映画の主人公って感じだったのが、いちばんつまらなかった。こんな“いかにも”なキャラクターが実写世界で動くのを見たくて1800円を払ったわけじゃないんだが。

 

対して、今回のラスボス“呪い屋”女子高生、非浦英莉可役の平手友梨奈は素晴らしかった。原作の非浦英莉可よりも常にシリアスで鬱々としているが、B級ホラーな呪いの演出のなかで彼女の演技だけがリアルで、切迫した状況を味わわせてくれた。『』の彼女も素晴らしかったし、彼女が出る作品は全部チェックすると決意した。

 

映画のシナリオは『貯金箱』についてのエピソードの上澄みと、冷川の過去についてのキメラ。“先生”については完全にギャグ。続編を臭わせるようなエンディングだったが、どうする気だ。大丈夫か。三角についてはねつ造7割、そうだね3割。とにかく性格が真逆すぎる。残念。役者さんは好きなのに。サスペンスでもホラーでもミステリでもない。『さんかく窓の外側は夜』は『さんかく窓の外側は夜』というジャンルなのだから、なにかのジャンルを求めてご覧になった皆様にはがっかりだろうし、原作ファンの皆様にもがっかりだろうし、誰のための映画だったのか。最大の謎だ。


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サブスクで見てちょうどいい作品だったな。

窮鼠はチーズの夢を見る」みたいにのんびり待てば良かった。

 

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原作は最高なんだもの。期待しちゃったんだもの。

 

「自分って、何?」【散歩する侵略者】

「自分って、何?」

 

「言葉じゃなくて、ちゃんとイメージして」

 

「そうそう、もっと鮮明に」

 

「それをもらうよ」

 

とん、と人差し指で額を突かれる。

がくんと力が抜け、崩れ落ちる。

ぽろ、と涙が一粒。

あれ、おかしいな、

 

【自分】って、なんだ?

 

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散歩する侵略者】で描かれる宇宙人は非常に無邪気だ。概念を奪え、といわれて地球に来たので忠実に任務をこなす。人間にとりついた空っぽの宇宙人は人間から概念を奪うことによって“成長”していく。人間は概念に縛られている。概念を奪われると人間は自由になる。とても凶悪で、とても静かな侵略。

 

ひきこもりの男性は散歩中の宇宙人に“所有の【の】”を奪われる。【の】を奪われた男性は【わたしの家】という概念を失い、外の世界へ飛び出す。【の】を奪った宇宙人は帰る場所を理解する。これは家である。しかし、わたし【の】、家ではない。

 

息子の身体を宇宙人に奪われた主婦は【自由】を奪われる。主婦は【自由】が分からなくなり、自分の家のなかをうろうろするようになる。自分の家から出るという考えが浮かばなくなったのだ。身体を奪った宇宙人は晴れやかな顔で旅に出る。これが、【自由】。

 

二言目には仕事仕事の仕事人間から【仕事】を奪う。【仕事】から解き放たれた男は職場で自由に振る舞う。仕事道具を蹴散らし、周囲の制止を振り切ってはしゃぐ。【仕事】の概念を得た宇宙人はなにも変わらない。「仕事って大事なもの?」

 

宇宙人は金魚に入る。金魚は水から出ると死んでしまう。このままでは死んでしまうと思った宇宙人はたまたま近くにいた人間の身体に入る。人間の身体に入った宇宙人はたまたま近くにいた人間の家族の身体を分解して、人間の中身について知る。人間はこうすると死んでしまうのか。宇宙人は任務の邪魔をする人間に容赦なく物理攻撃を加える。ためらいなく人を殺す。なのに宇宙人はなんの変哲もないクルマにひかれてあっさり死ぬ。クルマにひかれたら人は死ぬ。当然の事実。なぜそんなことになってしまうのか。

 

それは、愛がないからだ。

 

【自分】は分かる。しかし、自分を大事にしなければならないという概念がない。自分を大事にするという概念の根底には自分への愛がある。愛があるからひとは自分を思いやる。死なないようにする。同じように他人へも愛情を注ぐ。自分と同じくらい大事にしようとする。だから人を殺してはいけない。宇宙人は教会に行く。神様の愛についての講義を受ける。しかし愛は抽象的で複雑すぎて奪うことができない。

 

そして、ついに宇宙人はガイドから愛を奪う。ガイドは身体の元の持ち主の奥さん。夫婦の中は冷え切っていたが、概念を得て、宇宙人は“かつてのあの人”になっていた。ガイドから奪わないのが宇宙人のルールなのだが、いよいよ物理的な侵略が始まり、あちこちで炎があがりはじめた時、ガイドは宇宙人に激しく詰め寄る。

 

「あなたに愛をあげる!たくさんあげる!だから、わたしから奪って!」

 

宇宙人は愛を知る。念願の愛という概念。愛を知った男は涙を流す。普通は奪われた側が流す喪失の涙。「なんだこれ」は普通、奪われた側の台詞だ。男は「なんだこれ」を繰り返す。愛を奪われた女は無表情になる。かさかさに乾いた瞳。色のない、絶望とも違う真っ暗な瞳。感情のない冷徹な頬、くちびる。

 

 

長澤まさみ、恐るべし。

 

 

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最後の侵略時のCGはびっくりするくらいしょぼいので心の準備を。

 

三十路独身女が1日1食生活をするとどうなるのか

お題「昨日食べたもの」

 

朝:具だくさん味噌汁

昼:チョコレート

夜:バナナと牛乳

 

こんな生活がかれこれ1年間続いている。この生活になる前は量はともかく1日3食食べていた。この頃は栄養バランスをとらねばと様々に工夫するのが苦痛だった。さらにおやつ。太ると分かっていてもおやつは止められなかった。そんなわけでBMIは正常ギリギリ。ちょっとぽっちゃり。常にダイエットについて考えている。これがわたしなのだと思っていた。それが変化したのはうつ病でダウンしてからだった。

 

うつ病はほんとうにつらい。なんにもできなくなる。何より困ったのは【食事】だった。しかし、病院に行くと先生からも看護師さんからも【食事】について言及される。でも、欲しくないし、作るのが面倒くさいし、何を食べていいのか分からない。そこで“”に出会った。

 

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1日1回沼を作り、1日かけて食べる。これを続けて数ヶ月。食べたいものを食べたいだけ食べていた頃の太るのに食べてしまうストレスが激減した体重も減ったBMIは余裕で正常値。体調はうつからの回復も手伝って上々。ひとはいろいろ食べなくても生きていけることを身体で理解する。そして、ファスティングダイエットという考え方に出会う。

 

d.hatena.ne.jp

 

断食、と書くと日常とはかけ離れたものと感じるけれど、1日24時間のうち半分の12時間食べないと書くとどうだろうか。夜9時に寝たら、朝の9時まで食べない。当たり前の生活をしていたら可能ではないか。詳しく調べると究極的には『人間はおなかが空いたと思ったときに食べれば良い』という。なんだ、簡単すぎる。

 

オートファジーという仕組みも知った。なるほどなあ。

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8時間以内で食事を終わらせるとなると、9時に食事をしたら夕方5時に最後の食事をすることになる。夕方5時の食事は仕事に復帰したら難しいかもしれない。昼まで食事をしない生活はものすごくストレスだった。そこでわたしは自然と朝ご飯しか食べなくなった。食いだめはできない体質なのだが、必然的に量は増えた。“沼”の経験を生かして、メニューは具だくさん味噌汁や具だくさん鍋になった。適当な根菜と適当な肉(時々玉子)とたっぷりの葉野菜と200ミリリットルの水と鍋キューブとか出汁の素を入れて煮るだけ(味噌汁にするときは最後にスプーン1杯入れる)。夏はたっぷりの葉野菜のサラダに焼いた肉(時々玉子)、欲しいときだけパンや少量のごはんや豆腐。それを朝ご飯として食べる。昼間は欲しいときだけ甘い物を食べる。夜もおなかが空いた時だけナッツやフルーツや牛乳を摂取する。食べることは好きだけど食べたいものがなかったわたしは一気にストレスから解放された。

 

さらに貯金ができた

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女なので生理に伴うドカ喰いの衝動はある。その時は思いっきり食べる。食べ放題に行ったり、スーパーで好きなだけ買い物をする。体重は一時的にキロ単位で増えるが、1日1食生活に戻せば体重は生理の終わりと共に元に戻る。元に戻ることが分かってからさらにストレスが減った。

 

ストレスが増えると食べてしまうのはよく分かる。しかし、そうすることによって体重が増えてしまうことがストレスな人は一度考え直して欲しい。運動は面倒だよね、断食はきっついよね、寝てる間は食べないよね、なら寝ちゃえ。ここで寝られないひとは精神的におかしいのかもしれないから病院に助けを求める必要について考えてほしい。

 

 

あなたの食欲は正常ですか?

 

 

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何がなんでも食べたいものが本当にあなたに必要な栄養らしいよ

 

「捨てられないもの」

お題「捨てられないもの」

 

小さな頃から散らかった我が家が大嫌いだった。足の踏み場もないリビング、台所の流しはいつも満タンで、ベッドルームは物であふれ、和室には布団が敷きっぱなしだった。小学生になり子供部屋が作られ、自分のベッドスペースというものを得たが、家族の共有スペースは相変わらず散らかったままだった。両親は年末大掃除という概念すらなく、年がら年中洋服の山にもたれてテレビを見、ごみのなかを歩き、荷物をよけて眠り、大量の茶碗を購入する。同居の別棟に住んでいた父方の祖父がお風呂に入りに来るたびにわたしに片付けろと言った。この家では両親が決定権を持つのだから両親が動かねば片付かないのに、そう言われるたびに過剰な責任感から気負って片付けをした。山のような洋服を畳み、机の上のものを分別し、床が見えたら掃除機をかけ、大量の茶碗を洗い、崩れた荷物を整頓した。きれいになった床の上に大の字になって天井を見上げる。つかの間の充実感。両親は片付けをしたわたしのことを褒めはしなかった。それどころかここができていない、あれもできていない、中途半端な片付けならするな、と物を投げてくる。部屋はあっという間に散らかり、元通りになった。そうしてまた祖父に嫌みを言われる。わたしはおともだちの綺麗に片付いたおうちに招待されるたびにうらやましくて仕方がなかった。次はきのさんちに行こうよと言われるのが嫌でなるべく気配を消した。世の中はスーファミの全盛期でわたしも弟と共有のスーファミを持っていたが、ゲームに誘われないように話題の中に入らないように気をつけた。

 

都会で一人暮らしをし、成人したわたしはいろいろあって実家に帰ることになった。わたしのささやかな片付けすらなくなった実家は荒れ果てていた。幼い頃に無理矢理受け入れていた散らかった部屋は、一度味わった一人暮らしの空間を経て、いよいよわたしの頭の中をかき乱した。なぜ片付けができない。なぜ綺麗な部屋で過ごさない。なぜ誰も呼べない部屋で平気なの。たくさんのなぜが脳内を飛び交うが、幼い頃に片付けを否定されたことへの脱力感と実家に逃げ帰ったことへの負い目のせいで何も言えない日々が続いた。

 

そんなある日、こねこを拾った。こねこはおぼつかない足取りで一目散に駆け寄ってきた。祖父は猫嫌いで近所の猫を罠にかけて殺してしまうような犯罪者だったので、連れて帰ったら殺されてしまう。一度は無視をしたが、こねこはわたしのことを必死に追いかけてきた。手を差し伸べなければこのこはしんでしまう。痩せこけて小さく軽い身体を抱き上げ、胸に抱いて帰った。

 

こねこはおうちの子になった。

 

こねこはおうちの子になって、山のようなごみの上を歩き回る。トイレを間違うことはなかったが、遊んだり走り回れるような場所はなかった。ある夜、山になった洋服に頭を預けてテレビを見ていたときに、その山の向こうから元気になったこねこがわたしの顔までやってきた。せっかく元気になったのに、遊ぶところがないね。

 

ぱちんとスイッチが入った。

 

わたしはなんでも屋さんに電話をした。明日、大量のゴミを捨てて欲しい。それから10リットルのゴミ袋にそこら中の物を詰め始めた。捨てられないものだと思っていた物はすべてゴミだった。父親は早々に部屋にひきこもり、母親がぼんやり作業を見つめていた。ゴミ袋に入れられた物に文句はないようだった。ゴミ袋はみるみるうちに積み上げられ、そのままの勢いで開かずの押し入れを開けた。そこにもゴミがたくさん詰まっていた。ゴミ袋に入れて保管されていた物はすべて子供服だった。それを引っ張り出して、ボロボロになった袋から新しい袋へ入れ替える。中学生の頃の服、小学生の頃の服、幼稚園くらいに着てた服、手前から奥にかけて時が遡る。そして、ごわごわになった赤ちゃんの服が出てきた。ゴミをゴミ袋に入れる作業の手を止めず、わたしはボロボロ泣いた。なんで片付けができないんだよ。なんで掃除ができないんだよ。なんで片付けをしたわたしを褒めないんだよ。わたしはずっと我慢してきたんだよ。誰のせいでこんなに苦しんでると思ってるんだよ。なんでこんなものを大事にとってるんだよ。なんでわたしを生んだんだよ。わたしは生まれたいなんて一言も言ってないんだよ。苦しいんだよ。悲しいんだよ。なんでわたしは泣いてるんだよ。

 

 

捨てられないと思った。

この母親だけは。

 

 

 

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