きのさんのブログ

書きたいことを書きたいだけ

スイッチが落ちた日

こういう日記を書いた。

 

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生まれて30年間苦しみ抜いたわたしの闇は“うつ病”という名前のついた病気であることがようやく分かって、念願の薬物治療がはじまった。薬の威力はすさまじく、わたしは生まれて初めての透明な世界を味わっていた。なにより驚いたのは夜、疲れ果てて自分の世話もせず寝込んでしまうことがなくなった。昼間、頑張らなくても普通にしていられる。朝、世界が明るい。完治したと思った。こんな小さな薬を飲むだけで“普通に”戻れた。『夏が来れば治りますよ』と内科で言われたことを思い出す。確かにあのときも薬を飲まずとも夏には引っ越しを済ませることができた。そうか、季節性のものだったのか。そしてわたしは春から始めた通院を夏頃に止めてしまった。

 

一年間はどうにか暮らすことができた。波はあったが、耐えられるレベルだった。物心ついた時から乗りこなしてきた波なので、乗りこなすことが当たり前だった。再び疲れ果てて夜帰る生活が始まっただけだ。職場では120%のわたしで挑む、プライベートは全力で遊ぶ、常にしにたい。消えてしまいたい。でもこれがわたしなんだ。しにたいって言ってるうちはしなない、といろんなひとが言っていた。しにたい、とSNSに書き込んだ。真剣には言えないから茶化して書き込んだ。本心は大波だった。でも実行に移さない自信があった。実行に移す勇気もない、中途半端な人間がわたしである。だからしにはしない。ただ、ひとよりしにたいだけ。おじいちゃん先生に言われたことを思い出す。

 

『ひとはね、普通は死にたいと思わないものなんだよ』

 

嘘だと思った。ほんとうはしにたいけどしにたいと言わないだけでほんとうはしにたいんだろみんな。しにたくないひとは特別製のしあわせな脳みそをしていて、しあわせな人生をおくっているんだ。そんな勝ち組なんて一握りだ。ほとんどのひとはそうじゃない。自分の不幸にズブズブに浸って、悲観して、消えたいと思っているはず。だから家族とか恋人とか親友とか作って、しなない理由を増やして生きているんだ。わたしはその衝動がすこし強いだけ。誰も信じられないだけ。孤独かどうかの違いしかないだけ。しなない理由を作らないだけ。

 

そうして一年後、スイッチが落ちた。

以下は当時に、Wordに走り書きしたメモ。

 

7月8日 バチンと音を立ててスイッチがおちた。あまりに唐突だったので、はっきり実感を伴ってYahoo!の検索窓に【スイッチがおちた】と入力していた。検索結果に任天堂のゲーム機のトラブルシューティングがずらりと並んでいて、ああそうかスイッチがおちるというのは機械に使う言葉であって、人間につかうものではないのかと、昔からあまりに馴染んだ感覚が一般的ではないことをいまさらのように理解しただけだった。

 

とにかくスイッチがおちてしまったので、待機状態になってしまったわたしは次の動作ができない。認識はしているけれど、思考ができない。暗い室内で帯電しているテレビ画面のようにぼんやりと発光している世界を見ている。元気いっぱいに輝く緑色のパイロットランプと、オフモードのオレンジ色の印象。わたしはいま、オレンジ色だ。

 

それでも惰性で生活を続けた。頭のなかのザワザワがうるさい。視界が非常に狭い。やるべき仕事をたんたんとこなす以外のことができない。話しかけられた内容が理解できない。食事が煩わしい。味がしない。睡眠時間がおかしい。空っぽなわたしという容器に重油のような黒い液体が満たしている。記憶がない。朝、通勤途中の車の中で涙が止まらなくなった。道路脇に車を寄せ、ハザードランプを点けた。震える指で会社に電話し、涙が止まらなくなったので病院に行く旨を正直に伝えた。電話を取ってくれた数少ない信頼できる上司のひとりが、少しだけ息を吞んだのを不思議とはっきり思い出せる。そうして向かったおじいちゃん先生の精神科は、

 

なくなっていた。

 

頭の中が真っ白になって、しばらく駐車場の車の中で放心した。それでもなんとかしなければ。スマホで検索した他の病院に直接行って話をしたが、どこも数ヶ月先まで予約でいっぱいだった。ほらみろ、みんな病んでるんじゃないか。と冷めた自分がいて、ぼろぼろ泣きながらしにたいんです。と訴える自分がいた。最後に訪ねた心療内科で『自殺願望のあるひとはうちでは見きれません。ここに電話してください』と教えてもらった電話番号に電話した。「ここは入院が必要な患者さんの連絡先なのですが、あなたは入院が必要なのですか?」と聞かれて、わかりません、と正直に答えた。電話は切れた。次の日、わたしは会社にいた。ぼんやりはますますひどくて、青い空は灰色に見えた。

 

最後の望みをかけて、あまりいい噂をきかない病院に電話をした。

すぐに担当科に繋いでくれた。明日来てくださいと言われた。

新しい先生は自分のことをよくしゃべる先生だった。

適応障害からのうつ状態だけど、双極性障害もあるかもね、と言われた。

そうして再び薬物治療がはじまった。

借金があったので仕事は辞められなかった。

 

 

それでも闇は晴れなかった。

会社でパニックを起こして早退することもあった。

半年後、わたしは脳みそがクラッシュする。

 

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後日、 おじいちゃん先生は亡くなったことを知った。

ありがとうございました、と言いたかった。

ありがとうございました、わたしに病院の素晴らしさを教えてくれて。

ありがとうございました、わたしに薬物治療の有効性を教えてくれて。

ありがとうございました、わたしを叱ってくれて。

それから、勝手に通院を止めてしまって、ほんとうにごめんなさい。

 

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どうやって生きるのか、やりかたが未だにわからないです、先生。