きのさんのブログ

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「捨てられないもの」

お題「捨てられないもの」

 

小さな頃から散らかった我が家が大嫌いだった。足の踏み場もないリビング、台所の流しはいつも満タンで、ベッドルームは物であふれ、和室には布団が敷きっぱなしだった。小学生になり子供部屋が作られ、自分のベッドスペースというものを得たが、家族の共有スペースは相変わらず散らかったままだった。両親は年末大掃除という概念すらなく、年がら年中洋服の山にもたれてテレビを見、ごみのなかを歩き、荷物をよけて眠り、大量の茶碗を購入する。同居の別棟に住んでいた父方の祖父がお風呂に入りに来るたびにわたしに片付けろと言った。この家では両親が決定権を持つのだから両親が動かねば片付かないのに、そう言われるたびに過剰な責任感から気負って片付けをした。山のような洋服を畳み、机の上のものを分別し、床が見えたら掃除機をかけ、大量の茶碗を洗い、崩れた荷物を整頓した。きれいになった床の上に大の字になって天井を見上げる。つかの間の充実感。両親は片付けをしたわたしのことを褒めはしなかった。それどころかここができていない、あれもできていない、中途半端な片付けならするな、と物を投げてくる。部屋はあっという間に散らかり、元通りになった。そうしてまた祖父に嫌みを言われる。わたしはおともだちの綺麗に片付いたおうちに招待されるたびにうらやましくて仕方がなかった。次はきのさんちに行こうよと言われるのが嫌でなるべく気配を消した。世の中はスーファミの全盛期でわたしも弟と共有のスーファミを持っていたが、ゲームに誘われないように話題の中に入らないように気をつけた。

 

都会で一人暮らしをし、成人したわたしはいろいろあって実家に帰ることになった。わたしのささやかな片付けすらなくなった実家は荒れ果てていた。幼い頃に無理矢理受け入れていた散らかった部屋は、一度味わった一人暮らしの空間を経て、いよいよわたしの頭の中をかき乱した。なぜ片付けができない。なぜ綺麗な部屋で過ごさない。なぜ誰も呼べない部屋で平気なの。たくさんのなぜが脳内を飛び交うが、幼い頃に片付けを否定されたことへの脱力感と実家に逃げ帰ったことへの負い目のせいで何も言えない日々が続いた。

 

そんなある日、こねこを拾った。こねこはおぼつかない足取りで一目散に駆け寄ってきた。祖父は猫嫌いで近所の猫を罠にかけて殺してしまうような犯罪者だったので、連れて帰ったら殺されてしまう。一度は無視をしたが、こねこはわたしのことを必死に追いかけてきた。手を差し伸べなければこのこはしんでしまう。痩せこけて小さく軽い身体を抱き上げ、胸に抱いて帰った。

 

こねこはおうちの子になった。

 

こねこはおうちの子になって、山のようなごみの上を歩き回る。トイレを間違うことはなかったが、遊んだり走り回れるような場所はなかった。ある夜、山になった洋服に頭を預けてテレビを見ていたときに、その山の向こうから元気になったこねこがわたしの顔までやってきた。せっかく元気になったのに、遊ぶところがないね。

 

ぱちんとスイッチが入った。

 

わたしはなんでも屋さんに電話をした。明日、大量のゴミを捨てて欲しい。それから10リットルのゴミ袋にそこら中の物を詰め始めた。捨てられないものだと思っていた物はすべてゴミだった。父親は早々に部屋にひきこもり、母親がぼんやり作業を見つめていた。ゴミ袋に入れられた物に文句はないようだった。ゴミ袋はみるみるうちに積み上げられ、そのままの勢いで開かずの押し入れを開けた。そこにもゴミがたくさん詰まっていた。ゴミ袋に入れて保管されていた物はすべて子供服だった。それを引っ張り出して、ボロボロになった袋から新しい袋へ入れ替える。中学生の頃の服、小学生の頃の服、幼稚園くらいに着てた服、手前から奥にかけて時が遡る。そして、ごわごわになった赤ちゃんの服が出てきた。ゴミをゴミ袋に入れる作業の手を止めず、わたしはボロボロ泣いた。なんで片付けができないんだよ。なんで掃除ができないんだよ。なんで片付けをしたわたしを褒めないんだよ。わたしはずっと我慢してきたんだよ。誰のせいでこんなに苦しんでると思ってるんだよ。なんでこんなものを大事にとってるんだよ。なんでわたしを生んだんだよ。わたしは生まれたいなんて一言も言ってないんだよ。苦しいんだよ。悲しいんだよ。なんでわたしは泣いてるんだよ。

 

 

捨てられないと思った。

この母親だけは。

 

 

 

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